Complete text -- "勘違い、間違いが、かなりあります"

17 March

勘違い、間違いが、かなりあります

 秘書から、「お前もこの程度は書いてみろ」とメールが
来たので、この論文を読ませて貰ったのですが、勘違い
も酷すぎる・・・と言うか、ろくに調べもせずに、書いて
いるので、最初、秘書が僕に、人受けだけする「嘘文書を書け」
と言う意味かとも思いましたが、落ち着いて考えると、
タヒチのことを知らない人がこの論文を読んだらその通り
なのかな・・・と勘違いするのではと思いました。
なので、訂正を行いたいと思います。


http://www.yashinomi.to/pacific/report_a02.html
より、引用します。

> 第一回バーチャルクラス「大平洋島嶼国と沖縄の関係」提出レポート
>
> 「文化を垣間見るということ」
>
> 西堀 麻朝

本文引用
> ヘイヴァ・イ・タヒチという祭りが催される。

 まず、タヒチでフィールドワークをしているのと言うのであれば、
この論文の主題であるタヒチ語の「ヘイヴァ」の意味が示されてい
ないことが、無責任と、タヒチの文化であるタヒチ語に対して、
無知としか思えない。
タヒチで簡単に購入できる、タヒチ語の辞書を引いても良いし、
(本屋で立ち読みしたって良い)タヒチに行ったのなら、その辺
に居るタヒチアンに聞いてみるだけでも良い。その程度の、
フィールドワークが出来なくて、何がフィールドワークと言え
るのだろうか?
この、タヒチ語の「ヘイヴァ」の日本語訳が無いので、ハッキ
リ言えば、この論文には、締まりが無い。
タヒチ語の理解の無いであろう一般の日本人は、「ヘイヴァ」
の音感から、「ヒーバーする」と勘違いしないだろうか?つま
り「祭」と言うイメージが固定してしまう。タヒチ語が得意な
僕から説明させてもらうと、タヒチ語で「ヘイヴァ」の意味は
「ダンス:踊り」である。
ならば、この「ヘイヴァ・イ・タヒチ」が、何を主題に行われ
ているか、おのずと解るはずである。

> パペエテ郊外に数カ所設けられた野外会場では槍投げや石の
> 重量 挙げ、フルーツ運び競争、コプラ採り競争、といったタヒチ周辺
> の島々古来のスポーツ競技が行われる他、

 これをひとまとめに、「スポーツ」と表現することには、疑問を
感じる。
槍投げ、石の重量挙げは、スポーツと言っても良いと思う。
しかし、フルーツ運びや、コプラ取り競争は、早く出来るか
どうかで生活力(男らしさ)を見ると言う、競技では無いのか?
(もっとも、槍投げは、魚を突く行為、重量挙げは、力の誇示、
また、フルーツ運び、コプラ取りは、女性のタヒチアンダンス
と言う、女性らしさと言う魅力に対する、男らしさではないか?)
(更に、フルーツ運びに関しては、レースもあるが、伝統衣装を
競うところもある。)
いや、スポーツと言うより、「競技」が、表現としてふさわし
い。

> 彼らにとって、ヘイヴァといえば7月の祭りの総称よりも
> タヒチアンダンス・フェスティバルを指すことの方が多い。

 繰り返すが、タヒチ語が解れば、タヒチ語で、「タヒチアン
ダンス・フェスティバル」を意味する「ヘイヴァ・イ・タヒチ」
を指して、「タヒチアンダンス・フェスティバルを指す」など
という、こんなバカな表現が出来るはずは無い。
むしろ、「タヒチの踊り」である物が、「ダンスコンテスト
を指す」と表現した方が良いのでは無いか?

> このヘイヴァ(以下タヒチアンダンス・フェスティバルを指す)、
> 1999年まではピラエというパペエテ郊外の村で行われていたのだが、

 僕は、タヒチが好きで、タヒチに移住する事を決めました。
初タヒチ旅行は、1996年初頭ですので、そんなに古くはありません。
 ビザを取ってタヒチ入りしたのが、1997年のバスティーユ
(7月14日 パリ祭)ですから、1997年のヘイヴァ・イ・タヒチから
観賞をさせてもらっています。
恐らく、この方(論文作成者)は、2000年以降タヒチに来られたと思う
ので、今の、タヒチ島パペエテ市の町の様子からすると想像が出来
ないかも知れませんが、「ピラエ」が、「ヘイバ・イ・タヒチ」の
メイン会場になった事は、ありません。(ヘイバ・イ・ピラエは
別にしていた)
今、パペエテのヴァイエテ港は開発されて、近代的なレンガ敷き
の場所に屋台が出ていますが、当時は、土がむき出しの所で、
ヘイヴァ・イ・タヒチの時期には、屋台が、モウレア島行きの
船乗り場に移動し、普段、屋台が出ている場所に、毎年仮会場を
作って、ダンスコンテストを行いました。
(つまり、パペエテ市のヴァイエテ港であって、ピラエ市ではない)
この程度の情報収集は、フィールドワークをするつもりなら、
その辺のタヒチアンに聞いても済むことです。
タヒチ語は仕方がないとして、フランス語・・・いや、英語で、
いや、日本語で、日本のタヒチ観光局に訊ねても良いのでは
無いですか?それとも、日本のタヒチ観光局には、この程度の
情報も無いのですか?
勝手な思いこみと・・・いや、会話力の無さか、情報収集義務
の放棄が、この間違った論文の原因ではありませんか?
もしかすると、何らかの事情で、過去にピラエで開催されたの
かも知れない。しかし、1999年迄と言う表現は明らかに間違っ
ている。何故なら、僕は、1999年以前の、1997年、1998年、
パペエテでヘイヴァ・イ・タヒチを観賞しているからである。
この事についての、説明がして貰いたい。

> 近年パペエテの港を新しく埋め立ててつくった広場の屋外スタ
> ジアムで行われるようになった。

 新会場は、「パペエテ」には違い無いが、単純に「パペエテ」
と書いてしまうと、タヒチを知らない人間は、混乱しないであろうか?
病院街のママオもパペエテだし、屋台街のヴァイエテ港も、現在の
会場トアタ(パオファイ)もパペエテである。

> 会場が変わったと同時に、以前は誰でも無料で観ることのできた
> ヘイヴァが、入場料を払わなければ観られないものとなった。
> タヒチ島で生まれ育った知人は、幼少の頃から毎年年に一度
> のヘイヴァを家族揃って観に行くのが楽しみだったが、今では
> 観客席の数も限られ有料となったヘイヴァのチケットを手に入
> れることができるのは開催関係者や経済的にゆとりのある一部
> の住民か観光客ぐらいだと言う。

 これは、タヒチと言う、田舎論理のはたらく場所を理解していない
としか思えない。タヒチシステムが理解できずに、それで、フィール
ドワークか?
 僕は、コネがありましたので、無料でも、(一部、有料だった
気もするが・・・)には、「大統領、大臣」等の来賓用席で観賞
するのが常でした。(司会席の後ろ)
他にも、タヒチには、色々な無料イベントが、「今でも」ありますが、
このチケットこそ、「コネ」以外のナニモノでもなく、僕は、コネが
ありますで、今でも会場に行き、「チケット何とかならないか?」と
交渉して、チケットを貰うのが常です。
むしろ、来賓用(主催者)の枠が今でもあるにしろ、お金で買える方が、
広く平等に皆が観賞できるのでは無いか?
その不平を言う人は、「コネのタダ券」が手に入らなくなった
事への不満だけではないのか?(無料枠の削減)

> しかし新しいスタジアムでは、一段高く設置されたステージと観客席との
> 間には幅が広くとられており、周辺を警備員が見守る中ダンサーたちが
> 踊り、歌う。以前のよう

 この論文作成者は、過去のヘイヴァ・イ・タヒチをビデオ
(DVD)等で観賞された事はあるのであろうか?
2002年に、「過去のヘイヴァ・イ・タヒチ」を、ヘイヴァ・
イ・タヒチが始まる1か月前(6月)に、一週間ほど特集を
組んでテレビで、放送した事がある。
確か、10年前、20年前、30年前と見ていったのだが、
ダンスチームは、両極端であった。優勝常連チームは
コスチュームも凝り、ダンスのレベルも高かった。
また、今よく見るタヒチアンダンサーのコスチューム
と言うより、ハワイアンダンスショーで見るような
コスチューム。しかし、練習したのか?と言うよう
な、にわか仕立てのチームも参加していた。
 この論文作成者の1999年の区切りで思い出した
が、2000年からは、確かにパペエテのタフア・トアタ
(タフア=広場、アタ=笑う。)と言う場所に移って、
ダンスコンテストに限れば、数日しか行われなく
なったが、ヴァイエテ港当時は、1か月間ほとんどの
夜にタヒチアンダンスを見ることが出来た。
つまり、コンテストのすそ野は広かったと思うが、
審査の効率は悪かったと思う。
また、「ピラエ会場」の件だが、以前は、各市(パペエテ、
パエア、プナッアウイア、ファッアッア、ピラエ、
アルエ、マヒナ・・・等)が、ちょうど日本の盆踊りの
ように行っていたヘイバを、コンテストの形でパペエ
テ市の本会場で一つに統合した(観光目的もある)話と
混同していないだろうか?
(これ以降、ヘイヴァ・イ・タヒチは、ヘイヴァ・ヌイ
と呼ばれる事もある。)
と言うのも、去年からは、現在の自治大統領が
「昔のように、各市でヘイバを楽しもう」と、
大統領が市長を務めるファッアッア市では、会場を
組み、祭りを行っています。

> フランス領ポリネシアにある5つの諸島の島々からダンスグルー
> プが集まるのだが、旅費や衣装に莫大な費用が係るため地元や
> タヒチ島近隣の島々からの参加が圧倒的に多い。タヒチ島のヘイ
> ヴァに参加できないダンスグループの

 タヒチ島を除くと、他の島は、その島の優勝チームだけが参加
出来るというのをご存じですか?(まず、第一に、チームが成立
するほどの、人口がない。)
タヒチ島でも、基本的には一つの市からは、一チームしか
参加していないのはご存じですか?
同じ市でも、レベルの高さにより、複数チームが出場する
事がありますが、それはチームのレベルの高さから、認め
られたものです。
また、一定のレベルに達しないチームが、コンテストに参加
することは、正しいコンテストの形ですか?(コンテストの効率)
参加チーム一覧は、ヘイヴァ・イ・タヒチの前に、プログラム
として配られますが、このプログラムを本当に見ていますか?

>  このようにヘイヴァの社会的・文化的性質が変わりつつある近年だが、
> 果たしてタヒチの人々が継承していきたいと思う、あるいは自分達とは
> 異なる文化を持つ人々に観て感じてもらいたいと思うヘイヴァの姿とは
> どうのようなものだろうか。もとも

 コレは、表現の方法と言うか、論点はずれて無いだろうか?
と言うのも、

> とはフランス革命記念日を祝うために1881年から始まった
> ヘイヴァ・イ・タヒチ、

 フランスからの押しつけの祭が、タヒチ自治政府の成立
があり、タヒチ文化の再考(自分たちの祭)と言う形に変わ
りつつある過渡期である点は、この論文作成者の論ずる通
りであるが、皆がヘイバを楽しむことによって、タヒチの
文化(歌、踊り)を継承していくはずであったが、観光目的
も含めて、コンテストの意味合いが強まり、踊る人(本気
で賞を狙う人達)と、逆に踊らない人(踊れない人)を作っ
てしまった。
と言うのが、本当の問題点ではないのか?
また、観光目的にならざるを得ないのには理由がある。

 僕は、「ボランティア」と言う言葉が嫌いである。
無料は、継続していくためには、将来的には絶対的に障害
となる。長く続けていくためには、プロフェッショナルと
して認められ、対価を得るべきである。

 日本の田舎でも、最近は盆踊りを維持することに腐心を
している。ただ、日本の場合は、寄付金や初盆者遺族の
無料奉仕、青年団の協力(青年団員に50歳を越えて参加
せざるを得ない所もある)が期待できる。
タヒチではどうであろう?寄付をする方はどの様な人達
であろうか?タヒチでは、無料奉仕と言うのは、まず考
えられない。
やはり、寄付をするのは観光関係では無いだろうか?
会場運営費も必要ならば、商用化していくのは、仕方
のないことだとである。
 特に、各市でヘイバを開催していた時の維持費は
誰が出していたのだろう?各市に対して、タヒチ自治
政府(つまりは、フランス政府)からの補助である。
つまり、会場の一本化は経費削減の意味もあったの
である。

結論
 もし、可能であるのなら、僕の意見を元に、書き直した
論文を掲示していただきたい。

 半日で書き上げたので、まだ誤字脱字、資料の不備や、
僕の勘違いも見あたると思いますが、取り急ぎ。

23:34:00 | hkoki | | TrackBacks
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